認知症になった父の「野焼き」に手を焼いた。やるせなかったあの時間
【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第三十三回
■つながる父の野焼きの記憶
うちには小さな庭があり、いろんな木や花が植えてある。季節になれば、落ち葉もたくさん出る。これらの落ち葉ゴミは集めて、燃えるゴミ、もしくは草花などと一緒に植物ゴミとして出すのが正しい。
しかし、父は落ち葉や草花のゴミを焼却用のカンに入れて、自分で燃やしていた。認知症になった後に表れた症状のひとつだった。
昭和の時代、可燃ゴミを各家庭が野焼きするのはよくある光景だった。それがいつしか法律で禁止されるようになり、ゴミ袋で出す形に変わった。
父も野焼きをやめていたはずなのに、また以前と同じように、家の前で落ち葉などのゴミを燃やすようになってしまった。時間が戻ってしまったのだろう。
「ダメだよ、野焼きは」
「何がダメなんだ」
「家の前で燃やすのは禁止されてるんだよ」
「何を言ってる」
どうにか父を止めようとしたが、理屈で話しても通じるものではないし、言い方に気を付けないとかえって怒らせるだけになる。「おとうちゃんを怒らないで」は、母に何度も念を押された約束でもあった。
仕方なく近くで見守りながら事故のないように終わるのを待つしかなかったが、たまに下校途中の小学生がおもしろがって寄ってきたりして、ああいうときはどうするのが正解なのか、未だにわからない。バタキが子供のほうに飛んだりすると、ひやひやした。
冬になり、たきびだ たきびだ 落ちばたきの歌が聞こえてくると、野焼きをする父と、その横で何もできなかった自分のやるせなさを思い出す。